二
加世田城は随分と大きいなあと、伊作城に住み慣れていた又四郎は、正直、そう思った。この頃の城は、麓と呼ばれる外郭に囲まれるように、さらに家臣団が形成する内郭の中に屋形を擁していた。
戦国期真っ直中においては、近世に見られる天守のような美形を追究したものではなく、自然の地形や樹木、岩石などを利用した、まさに要塞であった。本丸、二ノ丸、三ノ丸、兵糧倉などを配した城郭は、それぞれ空堀で仕切られており、籠城を含めた実戦のためのものであった。
加世田とは笠狭宮からきているという。かつては別府氏が領有していたが、この地を薩州島津家の島津実久が侵攻して、加世田城を築いたのだ。
日新斎はその実久を追放し、この城を落としてから、大規模な改修を行い、新たに築城した方に住み、加世田の地頭であった新納康久を家老に据え、隠居しても尚、領土拡大を目論んでいた。
「おう。よう来たな、又四郎。また少し背が伸びたかのう」
本丸御殿にて、日新斎と面談した又四郎は、久しぶりに会う祖父を見て深々と挨拶をしながらも、目を爛々と輝かせていた。決して大柄ではないが、丸坊主頭で法衣を身にまとった日新斎は、見るからに筋金入りの武門の頭領に見える。大永七年(一五二七)年、まだ又四郎が誕生する前だが、貴久に家督を譲ったときに剃髪して、それまでの忠良から、日新斎と名も改めた。正式に隠居して、〈愚谷軒日新斎〉と名乗り、この城に籠もるようになるのは、まだ三年後のことだ。
貴久は聡明で、武芸にも優れ、日新斎に負けず劣らぬ武将であったが、又四郎はなんとなく日新斎の方に馴染んでいた。長兄の義久は貴久との方がウマが合うようで、忠実に従っていたが、生来、おとなしくしているのが窮屈に感じる又四郎は、より大らかな雰囲気の日新斎の方が好きだった。
第4話: 遙かな海〈二〉 (1/7)
次のページへ >