一
白浜の向こうに果てしなく広がる群青の大海原は、遠くに湧き上がる入道雲までも包み込んでしまいそうだった。
波音がザザンザザンと繰り返し、野袴の裾を濡らす浜辺に立って、遙か沖を眺めるのが又四郎は大好きだった。まだ元服前の十二歳だが、目鼻立ちが凛とした大人びた風貌で、背丈も並の大人ほどあった。又四郎は幼名であり、後の島津義弘である。
生まれ育った薩摩国の伊作亀丸城から、一里ほど西に下った所に、東シナ海に向かって広がる、吹上浜という砂丘がある。海亀が産卵するほど美しい砂浜で、強い風を受けながら、陽光に燦めく波を見ていて飽きることがない。また、夕暮れになれば、大きく真っ赤な夕陽が水平線に沈んでいく。その厳かな景色も、又四郎の心に深く刻み込まれていた。
切り立つような高い山城に住んでいる又四郎だが、祖父の日新斎や父の貴久に連れられて、よくこの浜まで散策に来ていた。亀丸城からの眺めもいいが、雄大な海に直に触れられるから、気持ちが昂ぶった。山よりも海の方が、又四郎の肌に合っているのか、潮の香りを浴びるたびに、己でもどうしようもないほど、血肉が沸き躍るのだ。
この日は、東シナ海を右に眺めながら、祖父の日新斎の住む、加世田の城まで行くつもりだった。
この城を日新斎とともに、貴久が、同族の島津実久から落としたのは、天文七年(一五三八)だから、又四郎が三歳の頃のことである。貴久は大永七年(一五二七)に薩摩、大隅、日向の守護職になったとはいえ、この三国は未だに混乱しており、まだすべての実権を掌握してはいなかった。大隅の肝付氏や日向の北原氏、薩摩にも入来氏や菱刈氏らの国人衆が〈群雄割拠〉していた。
第3話: 遙かな海〈一〉 (1/8)
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