島津三国志 島津義弘公 大河ドラマ 誘致委員会 コラボ企画
 霧雨の中、十三基の地蔵塔の前で佇む、若者がひとり――立派な体つきだが、粗末な継ぎ接ぎだらけの身なりは、貧しさとの闘いをうかがわせた。鬱蒼とした樹々に溶け込んだかのような若者の背後へ、ふいに白髭の老人が現れた。驚いて立ち去ろうとする若者に、老人は杖をつきながら、関ヶ原の戦いで島津義弘が決行した敵中突破を訥々と語り始めた……。

第1話

 霧雨の煙る鬱蒼うっそうとした樹々に包まれるように、人の背丈ほどの地蔵塔が、十三基も並んでいる。逢魔が時の薄暮と相まって、まさに武将が居並んでいるように見えた。
 その前で、ひとりの若者が佇んでいた。
 下級武士か郷士であろうか、屈強で立派な体躯ではあるが、粗末な継ぎ接ぎだらけの着物や野袴は丈が短く、いかにも貧しさと闘っている風貌であった。禄高もろくにないから、厳しい野良仕事も毎日、繰り返しているに違いない。手足は太く、分厚い掌は泥が染みついたように黒ずんでいた。
 蓑笠もつけていないので、霧雨とはいえ、束ねただけの総髪は、墨を含ませた筆のようにぐしょり濡れていた。地蔵塔に掌を合わせるでもなく、瞑目するでもなく、若者は情景と同化したように佇んでいるだけだった。

「――見かけぬ顔だが、何方かな……」

 ふいに背後から声がかかった。
 若者が振り返ると、そこには少し腰の曲がった白髭の老人が、杖を突いて立っていた。野良着姿だが、どことなく気品が溢れており、紅殻色の番傘だけが、山水画のような霧雨の中で妙にきらめいていた。
 ほんの一瞬、若者は驚いて目を凝らしたが、伸び放題の白髭には、仙人のような温もりがあって、目は笑っている。

「儂は、この辺りの野守のもりでな、ここ妙円寺みょうえんじも見廻っておる」

 妙円寺の開基は、島津一族の石屋真梁せきおくしんりょうであり、明徳元年(一三九〇)に、真梁の兄・伊集院久氏いじゅういんひさうじによって創立された曹洞宗の古刹である。
 若者は遠慮がちに小さく頷いただけで、背中を向けて立ち去ろうとした。

「逃げることはなか。お若いの……ここに眠る武士もののふたちは、島津家の忠臣中の忠臣だと承知して、ここへ参ったのであろう。なぜかは知らぬが、今のような世が乱れたときには、多くの者たちが参拝に来ておる」

 老人は顎髭を撫でて、引き留めるように若者に声をかけ、勝手に語りかけた。

「おぬしの顔はなかなか武骨で、意志は強そうに見えるが、心の奥は色々な迷いや苦しみが渦巻いておるようじゃな。なに、儂のように、余った命ばかりで長らえておると、おぬしのような若いもんの気持ちが、手に取るように分かる」

 微笑みを浮かべた老人は、雨でぬかるんだ足場も気にすることなく、若者に近づいてきた。杖を突きながらではあるが、その足取りは能楽師のような趣の、しっかりとした摺り足であった。

「迷いがあれば、仕えし主君の後を追って切腹をすることなど、できはしまい」

「……」

井川 香四郎

いかわ こうしろう

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