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8月31日
今日の歴史的事件
鏑木清方誕生

歴史行路編集部
鏑木清方誕生




 今日、8月31日は――

 明治から昭和にかけて活躍した日本画家、鏑木清方(かぶらききよかた)が生まれた日です。
 明治11年(1878年)8月31日、東京の神田佐久間町でのことでした。

「東京日日新聞」(現在の「毎日新聞」)を発刊したうちの一人、條野採菊(じょうのさいぎく)の息子として生まれた清方は、健一と名付けられました。
 ジャーナリストでもあり、戯作者でもあった父の影響を受けたのか、清方は絵の才能を発揮し、満13歳の時、三遊亭圓朝の勧めで、浮世絵に連なる水野年方に入門。
 のち、尾崎紅葉の『金色夜叉(こんじきやしゃ)』や島崎藤村の『破戒』の挿絵を描き、明治34年(1901)には、『三枚續(さんまいつづき)』を担当したことがきっかけとなり、泉鏡花らと親交を結んでいます。

 大正3年(1914年)第8回文展の「墨田河舟遊」、翌年第9回文展の「霽(は)れゆく村雨」で連続受賞し、さらに昭和2年(1927年)の第8回帝展に出品した「築地明石町(つきじあかしちょう)」で帝国美術院賞を受賞し、一躍有名になりました。
 昭和5年(1930年)第11回帝展出品「三遊亭圓朝像」は、平成15年(2003年)に重要文化財として指定され、昭和29年(1954年)には、文化勲章を受章しています。

 その後、文学的教養もって江戸文化の粋を昇華させ、気品漂う美人画や風俗画の秀作を数多く生み出した清方は、昭和47年(1972年)3月2日、鎌倉雪ノ下にて逝去しました。
 享年93のときでした。


随筆家としての才能があった?

 父の文才を継いだ清方は、『こしかたの記』『築地川』『褪春記』『銀砂子』などの随筆を遺しています。
 晩年を鎌倉に暮らし、紫陽花を好んだ清方の心情をうかがえる随筆は、彼の遺した絵画を読み解く助けになるのではないでしょうか。

 鎌倉市鏑木清方記念美術館


   


[平成30年(2018)8月31日]掲載