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8月30日
今日の歴史的事件
家康、江戸城に入る

歴史行路編集部
家康、江戸城に入る




 今日、8月30日は――

 小田原征伐を終えた豊臣秀吉によって、三河など5か国を召し上げられ、関八州への移封を命じられた徳川家康が江戸城に入城した日です。
 天正18年8月1日(1590年)のことでした。

 天正18年7月5日(1590年8月4日)、北条氏政・氏直が相模国小田原で秀吉に降伏すると、家康はこれまでの軍功を認められ、関八州を与えられました。領地替えさせられたものの、100万石も加増され、250万石にもなったのです。
 家康はこのとき、北条氏の本城・小田原城ではなく、武蔵国の江戸城を居城としています。

 当時の江戸城には石垣はなく、芝の土手のうえに、板葺きの粗末な建物だったのにもかかわらず、です。
 しかも城の周りの地形は、太田道灌が領していた頃の凹凸のある武蔵野台地とほぼ変わらず、城の近くまで日比谷入江が入り込んでいて、葦や萱などが多く繁茂する湿地帯でした。

 家康は海運水運の利に目をつけたのでしょうが、ひょっとしたら、道灌が江戸城を築城したときの経緯を知っていたのかもしれません。
 築城する土地を探していた道灌はある日、千代田・宝田・祝田という名を聞き、その三つの村に城を構えると決めました。縁起が良さそうで、この土地は栄えると感じたのです。
 そのため、家康が入国する前は、千代田城と呼ばれていました。
 長年親しんだ三河を離れ、不安もあったはずの家康が、少しでも縁起を担ぎたかったとしても不思議ではないでしょう。


太田道灌って、どんな人?

 江戸城を築城した道灌は、永享4年(1432年)、扇谷上杉家の家宰・太田資清の子として生まれ、幼名を鶴千代と名付けられました。
 享徳3年12月27日(1455年1月15日)に起こった享徳の乱、文明8年(1476年)にはじまった長尾景春の乱で功を挙げましたが、勢力を伸ばす道灌を危ぶんだ主家の山内上杉定正によって、相模糟屋館(現在の神奈川県伊勢原市)で暗殺されてしまいました。
 文明18年7月26日(1486年8月25日)、享年55のことでした。

 太田道灌ホームページ
 NPO法人江戸城天守を再建する会


   


[平成30年(2018)8月30日]掲載