その日、なにが起こったか? 今日の歴史的な出来事 新着情報

8月29日
今日の歴史的事件
異国船打払令撤回

歴史行路編集部
異国船打払令撤回




 今日、8月29日は――

 江戸幕府が異国船打払令(無二念打払令)を撤回、薪水給与令を発令した日です。
 天保13年7月24日(1842年)のことでした。

 ロシア・アメリカ・イギリスなどの列強各国の船が日本近海に姿を現すようになった18世紀末―—寛政3年4月4日(1791年5月6日)、アメリカの商人ジョン・ケンドリックが紀伊大島に到着、交易を求める事件が起こりました。
 このような世界の動きに対して幕府は、文化3年1月26日(1806年3月15日)、遭難した異国船へ飲食物と燃料を分け与える[薪水給与令]を発し、再び異国船が現れた際、穏便にことを収められるよう計らいました。

 しかし、文化5年8月15日(1808年10月4日)、突如イギリスの軍艦が長崎に入港。オランダ商館員を人質に取り、薪水との交換を脅迫。その間に長崎奉行は九州諸藩に出兵を命じましたが、交換を終えたイギリス軍艦は、諸藩の軍備が整う前に港外へ脱したのでした。
 このフェートン号事件をきっかけに、文政8年2月18日(1825年4月6日)、「異国船は発見次第砲撃、退去させる。上陸した異国人は捕縛する」という異国船打払令を出した幕府でしたが、天保8年6月28日(1837年7月30日)に、日本人漂流民の送還を目的に来航したアメリカのモリソン号に対し、浦賀と山川(薩摩領)で砲撃を加えたため、非難を浴びてしまいます。

 その5年後、アヘン戦争において、「イギリス大勝、清国惨敗」との知らせを受けた幕府は、列強の軍事力に驚き、異国船に対する態度を軟化させ、異国船打払令を撤回したのでした。


ジョン・ケンドリックって、どんな人?

 ペリー来航の62年前、本州最南端、現在の和歌山県東牟婁郡串本町の紀伊大島に、巨大な帆船レディ・ワシントン号を操って現れたジョンは、日本に上陸した初めてのアメリカ人でした。
 独立戦争に勝利して間もない1787年、大統領制度へ移行する前のアメリカ議会認証状を携え、ボストンを出航していました。
 1740年頃に、アメリカのマサチューセッツ州ハーウィッチで生まれ、日本に向けてボストンを出航する前の彼は、軍人としてフレンチ・インディアン戦争やボストン茶会事件、独立戦争に関わっていました。
 のちに、太平洋岸北西部探検隊の船長に選ばれ、南アメリカ最南端のホーン岬沖を経由、太平洋を横断し、日本へやってくることになったのです。
 その後、ハワイに入港したジョンは、祝砲に誤って装填された実弾を体に受けてしまい、亡くなってしまいます。  1794年12月12日——とうとう帰国は叶いませんでした。

 日米修交記念館
 音吉顕彰会
 ジョン万次郎資料館


   


[平成30年(2018)8月29日]掲載