その日、なにが起こったか? 今日の歴史的な出来事 新着情報

8月19日
今日の歴史的事件
鷹島沖海戦(弘安の役)

歴史行路編集部
我が屍を埋めるに対馬を望む




 今日、8月19日は――

 1281年 (弘安4年7月27日)、平戸島から大宰府を目指し、鷹島に軍を進めてきた元軍を日本軍が迎え撃った日です(弘安の役>鷹島沖海戦)。

 世界規模といわれる数の軍船を沖に停泊させ、鷹島に上陸した元軍でしたが、潮の満ち引きが激しいため、九州本土への進軍をためらい、迫り来る日本軍に対し、塁を築いて防備を固めました。
 そのような中、集結した日本軍が元軍へ戦いを仕掛けます。
 日中から夜明けまで長時間にわたったこの海戦により、元軍は壊滅的な被害を受けました。
 この数日後、台風が追い撃ちをかけるように元軍へ襲いかかり、多くの軍船が沈没してしまいます。
 さらなる大損害を被り、とうとう撤退を決めた元軍ですが、敵の殲滅を図る日本軍の総攻撃(鷹島掃蕩戦)の方が早く、ついに弘安の役の幕が引かれました。

 鷹島沖海戦については、日本側の史料には残っていないため、詳しい戦闘の様子は分かってはいませんが、大勝利ともいえるこの戦いを記録していないとは、とても不思議に思えます。


鷹島はどんなところ?

 九州北西部の伊万里湾口に位置し、全島が長崎県松浦市に属する鷹島は、二度の元寇と深く関係し、元寇終焉の地として知られています。

 元寇遺跡のほかに、

 ☆弘安の役で少弐景資が本陣を構えた[龍面庵]

 ☆鷹島襲撃で奮戦、重傷を負い、「我が屍を埋めるに対馬を望むべき丘陵に於いてせよ」と言い残して自刃した[対馬小太郎の墓]

 ☆文永の役(1274年/文永11年)、鷹島に上陸した元軍に虐殺された島民家族の言い伝えが残る[開田の七人塚(悲墳塚)]

 などの歴史スポットがあります。

 戦闘の激しさだけでなく、悲劇に巻き込まれた当時の人々に思いを馳せてみてはいかがでしょう。


 


[平成30年(2018)8月19日]掲載