赤佐汰那の書見台 赤佐汰那

「戦国や江戸って、どんな時代なの?」「昔の人たちが喋っていた言葉とか、食べていた料理とか、着ていた服とか、まったく想像できない⁉︎」「時代劇はどこまで本当なんだろう?」などなど。
 とどのつまり、「歴史時代小説をもっと愉しみたい!」、常々そう思っているあなたのために贈るのが、このコーナーです。
 歴史時代作家を目指す人たちも必読、デビューの近道となるかもしれませんよ!

第12話

レトリックの解説書
『司馬遼太郎が描かなかった幕末』



『司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰、龍馬、晋作の実像
 一坂太郎/著

 小説は、レトリック(修辞)によって成り立っている。
 読者を楽しませ、感動させるためには、淡々とした文章、事実のみを伝える無味乾燥な文章ばかりではいけない。時にはハッタリを利かせ、誇大な修飾や論理展開を用いなくてはならないわけである。一般小説においては演出と呼ばれる性質のものだが、これがこと歴史小説となると事情が変わる。歴史小説は「過去を材に取った」小説であるからして、レトリックにより史実を誇大化・矮小化してしまうと、事実に反する叙述をしたことになってしまう。
 念のため書いておくが、わたしは小説における「誇大化・矮小化」を批判するつもりはない。小説はあくまで面白ければそれでよいものであり、歴史小説とて例外ではないと考えているからだ。
 さて、本日紹介するのは『司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰、龍馬、晋作の実像』一坂太郎/著、集英社新書)である。幕末史、特に長州系維新志士や奇兵隊に関する研究で知られる著者が、司馬遼太郎の小説に含まれる誤りや史実との乖離について解説している本である。恐らく本書の意図は司馬を引き合いに出して歴史学の成果から見た実像を啓蒙しようというあたりにあるのだろう。だが、歴史小説ファンとして見た時、本書はまた別の読み方ができる本である。
 すなわち、司馬遼太郎が駆使しているレトリックの解説書として読めるのである。
 たとえば、本書では司馬が事実関係を端折っているという指摘がある。特に、主人公の移動に関してはかなり刈り込んでいる点が指摘されているが、確かに本筋に関係のない移動は(小説という媒体ならば)読者を混乱させるだけである。ならば省略してしまおうと考えるのは読者サービスの一環であろう。
 また、『世に棲む日々』馬関戦争後の英国との講和の場における、史実と司馬の筆致の違いぶりについて指摘した箇所も興味深い。詳しくは本書に譲るが、元になった史料の字面を読み替え、読者が求める筋書きに転換する様は上手いの一言である。「司馬史観」とまで称揚され、生前のうちから歴史家という肩書で語られがちであった司馬もまた、レトリックを駆使し、読者に面白い嘘を提供していたのである。
 本書の意図は間違いなく史実の啓蒙にあるはずだ。しかし、歴史小説家志望の方にとっては大作家の手管をうかがい知ることのできる教科書であり、歴史小説ファンはマジックの種を覗き見ることでより深くテキストを楽しむことができるようになる。書きたい人にとっても読みたい人にとっても、ある種の悪魔の辞典として読める本なのである。

出版社:集英社
刊行日:2013年9月13日
価格:760円+税
判型:集英社新書

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[平成30年(2018)5月10日]
赤佐 汰那

赤佐 汰那

あかさ たな

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