島津三国志 島津義弘公 大河ドラマ 誘致委員会 コラボ企画
 霧雨の中、十三基の地蔵塔の前で佇む、若者がひとり――立派な体つきだが、粗末な継ぎ接ぎだらけの身なりは、貧しさとの闘いをうかがわせた。鬱蒼とした樹々に溶け込んだかのような若者の背後へ、ふいに白髭の老人が現れた。驚いて立ち去ろうとする若者に、老人は杖をつきながら、関ヶ原の戦いで島津義弘が決行した敵中突破を訥々と語り始めた……。

第4話

遙かな海〈二〉

     二

 加世田城は随分ずいぶんと大きいなあと、伊作城に住み慣れていた又四郎は、正直、そう思った。この頃の城は、ふもとと呼ばれる外郭そとぐるわに囲まれるように、さらに家臣団が形成する内郭の中に屋形をようしていた。

 戦国期真っ直中においては、近世に見られる天守のような美形を追究したものではなく、自然の地形や樹木、岩石などを利用した、まさに要塞ようさいであった。本丸、二ノ丸、三ノ丸、兵糧倉ひょうろうぐらなどを配した城郭は、それぞれ空堀からぼりで仕切られており、籠城ろうじょうを含めた実戦のためのものであった。

 加世田とは笠狭かささ宮からきているという。かつてはべっ氏が領有していたが、この地を薩州島津家の島津実久が侵攻して、加世田城を築いたのだ。
 日新斎はその実久を追放し、この城を落としてから、大規模な改修を行い、新たに築城した方に住み、加世田の地頭であった新納康久やすひさを家老に据え、隠居しても尚、領土拡大を目論もくろんでいた。

「おう。よう来たな、又四郎。また少し背が伸びたかのう」

 本丸御殿にて、日新斎と面談した又四郎は、久しぶりに会う祖父を見て深々と挨拶あいさつをしながらも、目を爛々らんらんと輝かせていた。決して大柄ではないが、丸坊主頭まるぼうずあたま法衣ほうえを身にまとった日新斎は、見るからに筋金入りの武門の頭領に見える。大永七年(一五二七)年、まだ又四郎が誕生する前だが、貴久に家督を譲ったときに剃髪ていはつして、それまでの忠良ただよしから、日新斎と名も改めた。正式に隠居して、〈愚谷ぐこくけん日新斎〉と名乗り、この城にもるようになるのは、まだ三年後のことだ。

 貴久は聡明で、武芸にも優れ、日新斎に負けず劣らぬ武将であったが、又四郎はなんとなく日新斎の方に馴染なじんでいた。長兄の義久よしひさは貴久との方がウマが合うようで、忠実に従っていたが、生来、おとなしくしているのが窮屈きゅうくつに感じる又四郎は、より大らかな雰囲気ふんいきの日新斎の方が好きだった。

井川 香四郎

井川 香四郎

いかわ こうしろう

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