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鳴神 響一
鳴神 響一

鬼船の城塞

鳴神響一/著

出版社:角川春樹事務所
刊行年月:2015年6月
価格:1,600円+税
判型:四六判

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『鬼船の城塞』と漁師町

 子どもの頃、二年間だけだが、坂ノ下という鎌倉の古い漁師町に住んだ。
 いまの坂ノ下は〝めんかけ行列〟と呼ばれる鎌倉時代から続く奇祭の残る観光地として人気が高い。
 だが、僕の記憶の中には、大正時代に建てられた町屋とさんじゅの生け垣の続く、失われかけた日本の風景がひろがっている。通り沿いには昔ながらの豆腐屋や八百屋が店を開き、朝の浜では一メートルもある大鍋で釜揚げシラスをでる湯気が立ち上っているようなそんな町だった。
 引っ越してきた夏、休みに入るのを待ちかね、胸をおどらせて海水パンツ一丁で浜まで走った。
 波頭にキラキラ光る銀色の反射がどれもこれも波にほんろうされるイワシなのだと知って喜び、陽が落ちた後の海がどんなに怖ろしいかを冷えてゆく肌で知った。
 海辺の嵐を初めて迎えた晩夏の夜には、枕元まで大波が押し寄せているような錯覚におびえて深夜まで寝付かれなかった。
 嵐が過ぎ去った次の朝、見たことがない何かを求め、母と弟と浜辺を散歩した。
 波打ち際に散らばる魚のがいや漁網の切れ端に混じって、見も知らぬ国の言葉が黒々と描かれている板きれや漁具の残骸が視界に飛び込んできた。
 そうか、水平線の向こうには見知らぬ国があるんだ!
 嵐の名残は、海を隔てた世界への大きな憧れを、僕の心にかき立てることとなった。
 海洋冒険小説が書きたいという気持ちの原点には、ぬくもりに包まれた坂ノ下での二年間が大きく影響を与えているものだと考えている。

[平成28年(2016)5月25日]

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